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iOS7 で英語の勉強

必要に迫られて英語の勉強をしている。 iPadやiPhoneを使って勉強するいい方法を見つけた。 iOS7には選択部分を辞書表示することができるようになっている。 瞬間日記を英語でつける。英単語が分からなくても日本語単語をそのまま綴って、日記として成立するように思いの丈を綴るのがfirst step。 分からなかった英単語を日本語単語から辞書を引く。 英単語を日記に追記する。 kindle for iPadでTOEIC勉強用本を購入しておりこれを知らない言葉を辞書で引いたりするのが楽しい 英語の表現を勉強するとそのまま日記で記憶の定着に役立つ

歴史を学び、明日を決める(まずは中国を理解する必要がある)

アメリカに仕事で1週間行ってきた。何冊かお供した本を読み自分の視界が広がった。それは歴史から本質を学び、明日を決める指針とする大切さだ。 「日本人へ リーダー篇 」(文春新書)  塩野 七生 (著)  「日本人へ 国家と歴史篇」 (文春新書)  塩野 七生 (著)  「2030年 世界はこう変わる アメリカ情報機関が分析した「17年後の未来」」米国国家情報会議 (編集), 谷町 真珠 (翻訳)  「嘘だらけの日中近現代史」 (扶桑社新書)  倉山 満 (著) 簡単なサマリは、次のようになる。 No.1、2は2003年から2010年に文藝春秋に発表された塩野七生氏のエッセイを時系列に纏められたものだ。成田空港の本屋に平積みされた新書の中から手にしたものだ。ずいぶん前にローマ人の物語を全巻読んでいたから知識の下敷きはあった。この本は日本の経済が衰弱し、外交でも存在感の無い中で、今後どう舵取りをして行くべきかをローマ帝国の歴史を紐解きながらその時々の時事問題をとりあげ氏の考えを示している。 No.3の「2030年 世界はこう変わる」では権力・人口・食料・水・エネルギーのメガトレンドと、経済・統治力・紛争・新技術の各要素のゲームチェンジャーを俯瞰し、それらの組み合わせからあり得る2030年の世界をシナリオベースで予測がなされる。 No.4の「嘘だらけの日中近現代史」は中国の歴史を極めて単純化したパターンで説明し、日本人の中国の甘い見方を断罪する。そのパターンとは面白く、 1.新王朝、成立 → 2.功臣の粛清 → 3.対外侵略戦争 → 4.漢字の一斉改変と改竄歴史書の作成 → 5.閨閥、宦官、官僚など皇帝側近の跳梁 → 6.秘密結社の乱立と農民反乱の全国化 → 7.地方軍閥の中央侵入 →8.1へ戻る なのだそうだ。現在の中国共産党もこのパターンに従うとする。 それぞれに通底する姿勢は今を、これからをどうするのかを一人一人が考え行動することにあると著者らは説く。 個人にとっても国家にとっても、最大の関心事は、今をどう生きるのかにつきる。 そのために、将来を予想し、少しでも苦難をさけ、他者(他国)より上がり、影響力を増大させる方向へと進むのか、それを意...

宮古島、探鳥&シュノーケリング(8) :宮古で感じたこと考えたこと

宮古で感じたこと考えたこと 宮古の経済を滞在時間3日の観光客が考えた。主要産業は観光と農業だ。農業の中で多くを占めるであろうサトウキビの生産は厳しいだろう。友人によると8割が補助金だという。つまり税金。TPPはこの島では大きな問題と感じるが島に関連する話題は無かった。保守基盤なのも効いているか。補助金は切れないだろうというのが友達の見たて。 農業は重労働だ。特にサトウキビはそれ自身が重量があり機械化も進んでいないように感じる。働く人々は皆高齢でどのくらい持つのか。いまのままで続くわけはなく早い他の産業への転換が求められる。行政が指導力を発揮できるのか。 宮古の自然相手の観光 宮古を始め琉球列島は特に東南アジアで人気が出ているらしい。香港の人も多く訪れる。 卒業シーズンの3月は確かに飛行機は混んでいた。若い人ばかりでなく、様々な人が乗り込んでいた。一年を通して多くの人が島を訪れただろう。しかし、自然の豊かさを存分に遊んでもらうというには、まだまだ提供側のメニューが少ないと感じた。 海の野生生物を楽しむ、鳥や植物を楽しむ、ゴルフを楽しむ、目にしたのはそんなところだった。 ダイビングはそれなりにメニューを揃えて人を集めているだろうが、森を対象にしたエコツーリズムは皆無に近い印象を受けた。三木さんによる宮古島の鳥の本は二冊出ているが、一冊はキンバトの子育て記、もう一冊は図鑑ポイがまだまだフィールドガイドとしては使いにくい。出現時期が書かれていない、フィールドが大まかにしか書かれていないのであまり参考にできなかったのだ。この鳥はこの時期に普通なのか珍しいのか?それがわからなかったし、鳥を見ている人は自分以外二人だけ。植物を観察する人もガイドをする人も東平安名崎の佐々木さん以外出会わなかった。 マダガスカルに鳥を見に出かけた時に現地で見たのはイギリス人のばーどうおっちゃーの団体を何組も見た。ガイドの人に伺うとこのガイドこそが英語版のマダガスカルの野鳥の本を書いた人だった。きちんと自然の教育を受けた人が「マダガスカルの野鳥」として英語で本を書き、この人がエコツアーをガイドも務める。 小笠原に行った時は観光協会とその近くで自然に強いガイドを頼むことができたし、ツアーに来ている人も多かった。 8割補助金のサトウキビからエコツーリズムに切り替える...

OCN家計簿のアグリゲーションサービスは信頼出来るか?(更新)

(2013/08/15追記) 2013年07月26日に明らかになった OCNのID流出 ですぐパスワードは変更したものの、不安は拭えない( NTTはOCN家計簿での流出は無いとしている。 )。結局本サービスは使っていないこともあり、完全にサービスを解約した。本件に限らず、ハックされたIDとパスワードのデータベースが闇サイトで取引され金銭の引き落としなど実害が出ているとの新聞報道もある。webでの便利サービスもお金が絡むものは慎重にしたい。 Woodieのブログ中で本ページのアクセスが多いのでご参考まで。 (2012/07/07投稿) iPadを使って,家計簿というか月次のライフログを付けるため良いアプリがないか探していた.その中でOCN家計簿とZaimの連携を絶賛するblogによく出会った. OCN家計簿はインターネットを介して口座情報を収集し,Amazonの使用歴などのEコマースの履歴を収集・整理する.アグリゲーションと呼ばれるサービス.それを家計簿として利用者に表示する.しかも無料. もちろん,情報を集めるために本人しか知らないログイン名とパスワードをOCNに教えておく必要がある. 試しという事でAmazonやVIEWカード,あまり動きの無い銀行口座を登録して,もちろんZaimも登録して使って見た. なるほど,便利さを実感する.山とある買い物サイトや銀行口座をいちいち自分で認証せずにまとめて代行してくれるからだ. でも,新生銀行の認証に必要な乱数の登録はさすがにできなかった. 便利だからといってメインの銀行を無料サービスに託していいのか. もちろん,OCNはセキュリティは強化していると 説明 がある. OCN家計簿では、お客さまの大切な情報を守るため、以下のようなセキュリティ対策を行なっております。 (1)ご利用者が登録した情報取得先のログインIDおよびパスワード等は、FISC安全対策基準 *1 に基づいて設計されたサービス運営・管理、情報の暗号化等で保護されておりますので、安心してご利用いただけます。 (2)ご利用者が取得する情報は、ご利用者が自らの端末操作によって登録されたものに限ります。また、コンテンツサイトからの情報取得は、ご利用者が自ら端末操作を行った際、及びご利用者の同意に基づきシステムが自動更新処...

改めて大飯原発の再稼働はどういう事なのか考えてみた

今日は大飯原発が1年3ヶ月ぶりに再稼働するとニュースが伝えている。 USTREAMではタイコに合わせたシュプレヒコールがライブ中継されている。それを1万人を超える人が見ている。 金曜日(2012/06/29)には首相官邸前に大飯原発再稼働反対の市井に人々が集まって原発再稼働のシュプレヒコールを行ったと報道があった。 自分の考えを整理するため、 原子力発電とはどういった技術なのだろうか。改めて人類の技術進歩を俯瞰して考えてみたい。 人類が言葉を持ち、交換し、蓄積できたのは他の生き物を圧倒する力となった。事実この200年科学的態度が進展普及しそれに伴い自然現象を利用した技術が次々生み出された。移動を助ける自転車、自動車、電車、飛行機、ロケットは自他のエネルギーを用い、遠隔会話が電話、携帯電話で可能となり、計算機であらゆる分野の情報が精緻化・高度化した。そしてそれらを動かすのにエネルギー特に電気エネルギーがいる。電灯線で各工場・家庭に送られているのはすべて他のエネルギーをいったん運動エネルギーに変え、それをタービンを回す事で電気エネルギーに変換している。 水力発電、火力発電、原子力発電すべてそう(太陽光発電だけは違うが)。 原子力発電も原料のウランが核分裂する時に発生する核エネルギーを使って液体の水を水蒸気に変えタービンを回すしているのは、他の発電と原理は同じで有る。ではなぜ、原子力発電だけこれほど多くの人が賛成・反対に別れて争うのか。 2011年3月福島原発1号機の爆発事故で 放射性物質が 飛散した。その飛散物質は人体に毒性を持っているのが最大の理由だ 。それも化学的毒(プルトニウム)だけでなく放射線を放つ核特有の”毒”を恐れているのだ。放射線は大きな線量は短期に致命傷を被曝した人に与える。広島長崎での被爆でもしられている。今回は低線量の被曝だ。 低線量の被曝が長期に渡ると人の遺伝子をだんだんと傷つけ細胞の癌化の原因となると見られている。チェルノブイリの原発事故では周辺の多くの子供達が甲状腺の癌を患った。この原因が原発事故由来である事は科学的に受け入れられているようだが、 それ以上にどの位の放射線を浴びるとどの位病気になるのか公式見解も曖昧で有る(正確には信じられないという思い込み)も不安を増長させている。この原子力発電の 原料自身が毒性 を持つと言うのが第一...

今日も素敵な言葉に出会えた。「音楽の原始は自然の心地よい音」湯川れい子さん

今日も素敵な言葉に出会えた。 野鳥7月号(2010年)の付録「Toriino」に湯川れい子さんのインタビュー記事が載っていた。あの音楽評論家の湯川さんである。自然と音楽との関連を問われ、次のように答えている。 「音楽そのものが自然から生まれた存在であり、楽器も最初は鳥の声、木々が風にそよぐ音、よせては返す波の音なんかを、どう再現するかというところから始まりました。つまり、自然の中の心地よい音だけを取り出して組み合わせたものが「音楽」だと思うんです。だから、大自然のなかではその自然の音を楽しむことが一番。」 深いなー。音楽は自然の心地よい音の再現と組み合わせが始まりなんだ。 キビタキがさえずる木立ち、サンショウクイやホトトギスが鳴き交わす森。或いは、チドリが渡る夕暮れの岩礁、ホオジロの囀る晴れ渡った丘、ヨタカやトラツグミが己の存在を示す夜道。 多くの鳥が鳴くのは、特にスズメ目の仲間には人に美しく感じる種類が多い。 ここで、昔から考えてもよく解らない疑問が思い出される。 なぜヒトは鳥の囀りを美しいと感じるのだろう。囀りばかりでなく姿も美しいものが多い。ウグイスが春先に住宅地で練習する歌はヒトにも上手いとは言えない。それが時を経て、春が深まるにつれ見事に囀るウグイスばかりとなるのだ。ウグイスがどう感じているのかは別として、魅力的で価値が高まる方にその歌い方を変えたのは違いない。歌が同性に対する意味と異性に対する意味とでは異なるらしいが、それでも見事な歌い方は、力や能力が高いことの証明なのだろう。 鳥にもにヒトにもおなじ見事さを感じることが出来るのなら、それは、何か、絶対的な美しさがあると思えてしまう。絶対的な美しさ、それは何だろう。もし、ヒトを含めた生物に絶対的な美を感じることができるとすれば何と素晴らしいことだろう。同じ価値観を共有しているのかもしれない。 もちろん、そんな存在ばかりでなく、キレイな花に集まる蝶と同じくらい、糞に集まるハエや腐肉臭を放つラフレシアの花もある。彼等も役割のある大切な存在なのだから、彼らなりの美意識があるのだろが。 もしかすると、絶対的な美というものが存在して、それをわかった上で、美の表現を価値とするもの、その反対の特徴を追求するものと進化が進んで行ったのかもしれない。 何となく心地良い風や風景...

NHK「天平の言霊を見つめて」 をみて

たまたまつけたテレビ( 2010年6月13日NHK )で言葉と歴史の意義に出会うことができた。 辞任した前首相など日頃の施政者の言行をみるにつける、キリスト的な「初めに言葉あり」の文化と異なり、言葉の軽さと言葉による議論の力が弱いと感じていた。言葉自身の力が弱いと思っているのが原因かと思っていた。 でもこのテレビを見て、「そうではない。我が国にも原始、言霊があった。言葉の力を信じ、人々を揺り動かす力が宿っている」と教わった。その例として鑑真の人生を教えていただいた。よく知られているように5度の渡航に失敗し、失明してまでその想いを遂げた人。その動機、日本からの使者から「日本に来て仏教の戒律を教えて欲しい」と請われて弟子のだれも手をあげない中、「これは仏法の問題である。仏法の為に生命を惜しむことがあろうか。お前達が行かないのなら私が行こう」と真っ直ぐな言葉で表現し実行し、その言葉が今に伝わっている。時代を超えて言葉が人に感動を伝えている。なるほど、言霊とはそのような力を持っているものか。我が国にも言葉の持つ力「言霊」の文化があったと改めて気がつかされた。 また歴史が迷った人の人世の道しるべに成るというお話しも印象深かった。 今、迷うことが多い時代。これまでの我が先祖がどう迷いどう判断しどう結果がでたのか、参考に成ることが多くあるのだろう。 改めて言葉の力と歴史の意義が再認識できた番組だった。 【ゲスト】奈良大学教授…上野誠,【きき手】岸本多万重

ゼロの実在

ゼロは位取りとして発見されたと最近読んだが、意味するところは存在しないだろう。 でも、実際にゼロの有限さを見つけてしまった。 京都駅で、北陸方面行きがなんと零番ホームから出るのである。 経緯は推察できる。番号が付けられなかったのだろう。後から新幹線ができで在来線が跨がって付けられないか、前からある電車の乗降場所が変わったとか。 ゼロが存在した実例としてあげておこう。

丹羽宇一郎氏の日経新聞「経済教室」は論旨がめちゃくちゃだ

人がブログに載せるとか、新聞に投稿するとか、何か世の中の人に知ってもらいたいことには2種類あると思う。 ポジティブな意見(うれしかった、感動した、感銘した、ありがたかった) ネガティブな意見(腹が立った、悔しかった、納得いかない) (この他に呟きが流行っているが) 今回はネガティブな方で恐縮です。 2010年1月28日付けの丹羽宇一郎氏(伊藤忠商事会長)が、日経新聞の経済教室の欄(27面)に「対米深化、経済再生が前提」と題する意見を載せている。 この文章は、悪文の典型だ。まず、論旨が通ってない。 始まりは「外交は各国間の信頼関係を中核に捉えるべき」と始まり、「日米の信頼が損なわれていること」に懸念を示し、現在の普天間基地移設問題について「我々が学ぶべきは経験ではなく歴史である」と書いている。歴史を紐解きながら信頼の意義をもとに現政権へ意見しているのかと思えば、結局いいたいのは経済力のない日本は他国から見て見劣りするので「経済こそが日米同盟の基盤で」、「経済が弱ったままで国際社内に発言力を確保することなどできるはずがない」と結んでいる。 ??? 現在の日本を取り巻く状況で、信頼と経済をどう関係があるのかが、クリアに述べられていない。 また、歴史に学ぶ必要性を2回も述べており、当然これに続く文章は、日本の過去の事例から教訓を引き、現在の普天間問題の意見を述べるべきところだが、これがない。歴史の引用は著者の見識が非常に問われるところである。この丹羽さんは歴史のどこを見て何を言いたかったのだろうか。 その他にも変な部分が多数ある、例えば、「厳しい関係は日米関係の歴史から見れば一時的で、今のアジアには日本にかわる国は無い」というアメリカ側からの分析の後、「隣国中国に対する抑止力としての役割の米国が日本から撤退すれば政治面で日本単独では中国と対峙できない」と仮定の話を持ち出して警告する。私はこういった論法が大嫌いだ。アメリカは彼の国の国益に基づき、日本から基地を撤退しないと読めるにもかかわらず、中国を仮想敵にして仮定で脅かす。この人は表層的な知識を組み合わせて眩惑させる種類の人だろう。深い洞察が感じられない。 こういった、社会的に地位のある方の論文が、大手の新聞が一般人を啓蒙目的の経済教室に眩惑的文章を載せるという構造は一体なんな...

今年の目標

2010年も明けました。 今年の目標の一つに次の定理を証明できるようになることがある。先のブログの算数宇宙冒険の一つのお題です。 1+2+3+4+...=-1/12 自然数を全部足すと-1/12となるという定理です。ゼータ関数ζ(n)のn=-1の時の値がそれです。 そこで、図書館で何冊か書籍を借りてきてました。 ポイントは無限の個数を足し合わせたことにヒントがあるので、無限について書かれたものです。 足立恒雄著「「無限」の考察」(2009.06) 絵本の雰囲気を醸し出しているのだが、中身は非常に整理され、わかりがいい。記憶に残したいのでポイントを書いておこう。 数学的無限大は3つあり、 解析に登場する無限大 幾何に登場する無限大 集合に登場する無限大 面白いと思ったのは、集合の無限大。著者によると集合の発見こそ、数学史上至高の創造だそうだ。カントル(1845−1918)がその創始者で、無限集合は「一つの集合の一部分集合であって全体と1対1のペアリングを与えられる」と定義される(デデキントの定義)。自然数はnとn^2がペアレントの例で自然数は無限集合である。2つの線分は他の一点から照らせば、1対1にペアリングができるので、そして、相互に近い点は相互に近い点に写されているので同相と幾何ではいうそうです。そして、集合の対等性に目の覚める例が出てきます。集合Xの全集合と集合Yの全集合との間に1対1の対応を付ける方法があるとき、XとYとは集合として対等であるという。任意の線分はすべて互いに対等である。 そして、びっくりする例が、平面と直線が対等であるという証明。カントルが証明したとき自分でも信じられなかったという。 平面上に点(a,b)をおいて、 例えば、a=0.2019...、b=0.5508...とすれば、 各位の数字を互い違いに入れて c=0.25051098... という実数を作る。これで1対1のペアリングであることはほぼ明らか、という。これってなんか聞いたことがあるぞ。無限にある部屋のホテルにはもしも満員でも人をさらに泊められるという方法。一人の新たな客には宿泊客に一つズレてもらうこと。不思議だなー。1次元と2次元は等しいかといえば違う。集合として対等ではあるが幾何的には同相ではない。なぜなら、平面の点を中心...

FMの政治番組も面白いぞ

今、 「 オンザウェイ・ジャーナル(月間寺島実郎の世界)」(TOKYO FM) を聞いている。 寺島実郎氏と高野猛氏とのトークショーである。 耳から鱗!みたいな話が聞けた。面白かった。 今日は中国建国60周年、その意味を話していただいた。60年前は蒋介石率いる国民党が毛沢東率いる共産党に破れた歴史であり、国民党がもし勝利していたら日本の復興は30年遅れていただろうの話を初めて聞いた。それは、戦中米国内には国民党を支援する人々からなるチャイナロビーがあり、日本を追いつめ、大東亜戦争では国民党+共産党が米軍の支援で勝つことができた。チャイナロビーの中心にマスコミの大物がいたそうだ(名前失念)。その後、内線で共産党が本土を掌握し、国民党は台湾を支配する。 そこで、チャイナロビーが台湾ロビーになり、共産党を封じ込めるとう視点から日本を西側の一員に取り込むという筋書きができ、その通りに進む。まさに中国の内紛は日本にとって僥倖だったのことだ。如何に米国の政策が一国と地域の発展と進行に大きな影響を与えるのか、また、それには熱い思いを持つロビーストが世論を作り出して行くのかが興味深かった。つまり、マスコミを通じて世論形成をしていたのだ。 ほとんどは部分的には知っていたが、大きな流れで見た時、なるほどそういった歴史だったんだと、大東亜戦争と戦後の復興に意味を与えることができるのか、と興味深い。 なお、この番組は1週遅れで podcast されている。でも、FMで聞き逃さないように集中して聞くのがお勧めだ。 寺島実郎氏はTVのコメンテータとしても露出度が高いが、話は理路整然としてためになる話が多い。今後も注目だ。そして、昼間は音楽ばっかりなのに日曜日の朝や、平日の夜(cutting edge/J-wave)はビジネスマンの情報源として大いに参考になるぞ。

足し算な人、掛算な人

エンジニアを今の生業にしているが、振り返るにエンジニアにも足し算な人と掛算な人がいるなと、風呂に入りながらつらつらと考えた。 足し算は1+1=2であり、1kgの砂糖と1kgの塩を混ぜたら2kgとできるが、1秒と1gは足せない。 でも、掛算は違う。1×1=1だけど、1m×1m=1平方メータ(m^2)と違う物理量になる。移動距離(m)を移動時間の逆数(1/s)で掛ければ、速度(m/s)になる。もう一度移動時間の逆数で掛ければ加速度(m/s^2)になる。そしてこれに重さ(kg)を掛ければ力(N=kgm/s^2)になる。 これをアナロジーに人に当てはめてみたのが先の風呂での思いつき。 ”足し算な人”は頑固。何処まで行っても、同じ直線上にあって、それでいて細かいことを言うと非常に奥行きがある。1=0.9999999...の議論のように、深く深く考えることができる。 それに対して”掛算な人”は、発想がぶっ飛んでいる。別々のものを組み合わせて全く別のものを思考できる。コロンブスのタマゴ的な発想ができる人だ。 どちらが偉いとか言う次元の話でなく、そういった傾向を持つ人が確かにいるなと思い至ったのだ。 エンジニアの最大の幸せは初めて実用化したことにあり、その発想の根底には掛算にある。携帯電話にカメラを付けたら写メールのコミュニケーションが生まれたとか、クロック波形にジッタをわざと持たせたら電磁放射ノイズが下がったとか、その例は枚挙にいとまがない。 それに比べて、足し算な人は科学や数学、哲学の分野に多いと思う。 何で光の速度は観測系によらずに一定なのだろうかのアインシュタインや、古代漢字の起源と万葉集の関係を追い求めた白川静とか、線の上をあっちに行ったりこっちに来たり、あっちから眺めたり、こっちから眺めたり、そのまなざしが非常に鋭くて、深い洞察が得られるまでそこを離れないぞみたいな感じがする。 エンジニアには掛算的な発想が必要で、時間がかかる足し算的な敬遠される。もしかして他の広告の人とか、新ビジネスを考えている人は掛算な人かもしれない。というより、世の中全体が、一所で一生懸命考え続けることを良しとしなくなったのかもしれない。掛算的思考を大急ぎで組み合わせて、何かおもしろいものは無いのかと、ビジネスになることは無いのかと時間あたりの最大効率化を追い...

「高速道路のあり方」の記事に思う

本日(2009.10.18)の毎日新聞朝刊に坂村健氏「 時代の風 」 「高速道路のあり方」 に賛成である。 趣旨はETCの柔軟な課金機能を積極的に利用して、渋滞解消と環境保護を両立させよということである。例えば、渋滞が続けば課金をどんどん高くして、すいているときは無料とする案を示している。これを動的無料化というそうだ。 もっと考えを進めて、ETCは一台に一セットが基本なのであり、車種情報も入っているのだから、燃費情報を加味した道路課金をすれば良いと思うのだ。EVはどこでもタダ、HEV/PHEVは半額、燃費グレード が付けられたガソリンエンジン車は2倍とかね。 ここの視点が坂本氏がなかったのが残念。車の環境対応を本質的に進める、特に、低コスト電気自動車の開発を一気に進めてここで産業を再興するというシナリオを描いてほしいものだ。

もう既に省益優先か、大臣

補正予算のムダ削減対象の総額は昨日(2009.10.07)の段階で約2兆5千億円で目標の3兆円に届かなかったそうだ。TVで放映されている部分は、各大臣がこれ以上は無理とか、相当頑張ったとの省よりの発言。 本来、各大臣は内閣総理大臣の代理人で、内閣総理大臣を長とする行政機構である内閣を担うものであり、そのための行政官僚を動かすことにある(参考: 飯尾潤著の「日本の統治機構」 )。政権交代がなされ、行政の連続性より不連続であっても変革を望んだ国民の信託にこれら国務大臣は答えているのだろうか。 各省庁とも数千億の規模の事業仕分けをこれだけの短期間でしたのだろうか。時間が短いことを考えると、上の発言は行政官僚から「不連続性による混乱」を強調されて、挫けた姿に見える。 混乱結構。政権交代の歴史的意味を考え抜き、国益優先で望んでほしい。

六ヶ所村ラプソディーを観た、語った

近所に放映会&トークがあったので暇に任せて観て来た。 冨田貴史さんがコーディネータ。 初めてお会いしたが、なかなか魅力的な青年だった。まっすぐ目を見つめて話す姿勢には好感が持てたな。 鎌仲ひとみ 監督のその 映画 は、正確にはDVDなんだけど、六ヶ所村に集中する 原子燃料サイクル施設などの原子力施設や石油備蓄基地、風力発電といったエネルギー関連施設が集中している寒村に活きる人々の生活、生き方を中心にしたドキュメンタリー。テーマは六ヶ所原子力再処理工場に反対し、1次産業に従事する人々の日々の思いや活動を綴ったものだが、推進派、処理工場に依存する村経済の立場での発言も丁寧に映像に納められている。 (監督が撮った イラクの劣化ウラン弾がイラクの健康を蝕んでいるというNKHスペシャル はおもしろかったけど、原子力発電廃棄物の劣化ウランが米軍に1トン1ドルで払い下げられ、回り回ってイラクの人を苦しめていると言われたって因果が遠すぎてジャーどうすればいいの、って感じを持ったことを思い出しました。) この映画にはさまざまな切り口で色々なことを考えることがあるが、 いちばん突きつけられている矛盾は、  「人の命の重みは同じか」 の理念と現実の乖離にあると思った。 簡単な構図として、安全安心便利な生活には電気が必要でそのための迷惑施設は人が住みにくい寒村に置いておけ。って、いう構図。これって結局、経済問題としてしか解けなかったんだな。 憲法で保証されている法の下の平等とか基本的人権の尊重とかはどこいったったの?って、矛盾が今の生活の中に潜んでいることが炙り出されるのです。 原子力発電所や再処理工場に事故が起これば程度の問題で、放射能汚染は地球規模で拡大するので、近い遠いは実はあまり関係ないのだれけど、普段の生活に施設が目に入らない分意識の上に上ることは少ないよなー。ゴミ焼却炉とか、産業廃棄最終処分場とか火葬場が目に入らないと存在しないと思っちゃうのと同じかな。 放射能を出さないとか、温暖化物質を出さないとか皆で環境守って美しい地球を守りましょうって、問題の本質間違えているよね。 46億年の一時期、放射能とか、多くの生物を死に追いやる物質が大量に放出されたからって、地球時間レベルでは大した話じゃなくて、大した話に思えるのは人類の存続を脅かされ...

オープンキャンパスには父親と行くべきだ

お休みをいただいて東京海洋大学(海洋科学部)のオープンキャンパスに行ってきた。大学の考えや学科、研究室の特徴などよくわかり、また研究の内容と取り組みの姿勢を知ることができ非常に知的にも楽しかった。 中でも、分析技術を研究しているある女性教授の研究室を見学させていただいたが、この方なら安心して子供を託せると感じた。迫力のある方で、「大学のブランド向上のため、厳しく研究を進めている」とおっしゃっておられたのがその理由である。 他方、食品のアレルギーをあつかった別の研究室の紹介では、研究紹介パネルのできが悪い。研究内容はわかるものの、そもそもの研究目的や成果の社会的な意義や効果が書かれておらず、これはいかにも手抜きである。学生への教育もなされていない様に感じた。ここの研究室は勧められないな〜。教授の社会に対するアカウンタビリティー軽視が手に取るようにわかってしまった。研究室は玉石混合であるが総じてなかなか魅力的な大学と感じた。 オープンキャンパスの見学者数は大学の予想を超えた様で、平日ためだろう母親と来た高校生が多かった。男子生徒に畳みかけるように話している母親の姿を多く目にした。それ自身は各家庭の問題で是非もないのだが、案外、子供はウザイという顔はしていなかった。ちょっと意外。 そんな光景を目にしたからではないが、オープンキャンパスには父親と来る方がいいと思う。その理由は、 (1)父親の理解度が非常に高くなる (2)実務経験が長い方が大学・研究室が信頼に足るのかを見わけられる (3)反抗期の子供と父親との接点が増える (4)進路相談を、共通の実例を交えて相談にのれる などであろうか。進路自身は本人にしか決まられないが、大学は善し悪しがあるのでそれは実社会の経験が長い親が見分けられると思った。もし母親がキャリアウーマンなら母親がオープンキャンパスに行ったらいい。 オープンキャンパスは父親世代が通った頃には無かった仕組みであり、大学も大変化している。実社会と進路を結ぶ大学の選定は皆入学可能な世代だけに父親の実務経験が生きると感じた。

シバザクラの記事に思う

つぐみ(日本野鳥の会、福井支部発行、2009年6月号)に支部長の柳町邦光氏の記事「土手のシバザクラ群来に思うこと」を読んだ。シバザクラの群生の問題点が簡潔に記されており、それを備忘録として記したい。 まず、「水田に水が入って周りの緑を映しこんでいる田んぼでは、土手に咲いているシバザクラがひと際鮮やかに写っています。遠くから眺めるとシバザクラの畝が浮かび上がって、その広がりの美しさに圧倒されそうです」と新しい田園の風景を取り上げます。その後、以下の問題点を指摘します。 1.シバザクラは北米原産の外来種であること 2.管理された公園でなく、農耕地で(一種類のみ)植えられていること 3.その植え方が土手一面をシートを張り付けて株の部分だけ穴をあけて植える手法を取っていること 4.そのため、土手に根を張って来た在来種は全く呼吸もできず全滅に追いやられてしまうこと 5.これら在来種はこの地で生きて来た他の多くの生き物とつながりを持って来たはず(種子は野鳥の餌、葉は昆虫類の生息に寄与するなど) 6.この方法での土手の植栽が増えていること 7.自然再生を基軸にした生物多様性の保全が問われている(時流に逆行する) そして、「耕地管理の省力化(雑草抜き)は理解できるが、もっと在来種を利用した植え付けや草花の咲く土手に多くの生き物住み着いてくれる方法があるものと思い、〜、私たちの足下からでも昔にあった自然を取り戻そうではありませんか」と結ぶ。 確かにシバザクラの群落は目に見事であるが、その植栽の方法や、そこにいたこれまでの生き物のことには思いが及んでいなかった。なるほどシバザクラだけの土手ではそれこそ「沈黙の冬」となって、鳥たちに餌を供給できないかもしれない。冬の田んぼは雪が無い当地ではホオジロの仲間、カワラヒワ、アトリの仲間やタヒバリなど実は非常ににぎやかでバードウオッチングも楽しいのである。農耕地をレクレーションの場として楽しむバーダにはシバザクラはそんな捉え方ができる問題をはらんでいる。しかし、生産者としての立場に立つと氏の結論は無神経な論に思えてします。 生物の多様性とは農地にとってみれば害虫の種類が多いことを意味しないだろうか。そして、昔にあった自然を取り戻そうとは、生産者に昔の手間のかかる方法をとれとは言っては無いだろうか。そうではなく、現代的な手法を組み合わせて種の多様性...

子供達に伝えたいこと、巨人の肩に登れ

高校生になった長男が携帯電話が欲しいという。携帯電話は今やもちろん不可欠なものである。でも、である。携帯電話自体が悪い訳ではないが、問題とすることはその時間の過ごし方にある。 彼らの人生をより豊かにするものは、もっというと、より良い人生のためには人/社会に必要とされることをすることである。そして、その中で比較的簡単な方法は知的労働をすることだろう。人の知らないことを教えてあげ、人類の知らないことを明らかにすること、人の暮らしを豊かにすること。 万有引力を発見した知の巨匠、アイザックニュートンの言葉に 「 もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ 」 がある。そう、巨人に登ってほんの少し人より遠くを見通すことこそが知的労働の基本だと思う。 そのためには具体的には何をしたらいいのだろうか。ズバリ大量のよく編集された文章を読むことである。人が良いという本、優秀な方に編集にされた本を大量に読むことである。批評家、編集者は巨人の肩に登られた人々なのだ。本屋にはトンでも本が溢れ、webにも大量の文章が溢れている。良い本か、そうでない本かは、大抵、はじめにを読むとすぐ分かる。でも、初心者にはこれが分からないのではないかと思う。webは個人が発信できることで驚異的に発展した。でも、逆に見れば編集されていないトンデモ文章かもしれない。 巨人の肩に登るのは、よく編集された文章を大量に読むこと。つまり、メジャーな新聞を毎日読むこと、賞を取った本を読むこと、巨人の勧める本を大量に読むこと。これが最も限られた人生の初めの方の時間で効果的に巨人の肩に登る方法である。 携帯電話を否定する訳ではない。でもあの小さな窓から、操作性の悪いキーから巨人を構成する人が書いた文章を大量に読むのは時間がかかりすぎると思うのだ。よく編集された本が今の時代でも効果的な巨人の肩に登る方法である。 子供達よ、よく編集された文章を大量に読め。