エンジニアを今の生業にしているが、振り返るにエンジニアにも足し算な人と掛算な人がいるなと、風呂に入りながらつらつらと考えた。 足し算は1+1=2であり、1kgの砂糖と1kgの塩を混ぜたら2kgとできるが、1秒と1gは足せない。 でも、掛算は違う。1×1=1だけど、1m×1m=1平方メータ(m^2)と違う物理量になる。移動距離(m)を移動時間の逆数(1/s)で掛ければ、速度(m/s)になる。もう一度移動時間の逆数で掛ければ加速度(m/s^2)になる。そしてこれに重さ(kg)を掛ければ力(N=kgm/s^2)になる。 これをアナロジーに人に当てはめてみたのが先の風呂での思いつき。 ”足し算な人”は頑固。何処まで行っても、同じ直線上にあって、それでいて細かいことを言うと非常に奥行きがある。1=0.9999999...の議論のように、深く深く考えることができる。 それに対して”掛算な人”は、発想がぶっ飛んでいる。別々のものを組み合わせて全く別のものを思考できる。コロンブスのタマゴ的な発想ができる人だ。 どちらが偉いとか言う次元の話でなく、そういった傾向を持つ人が確かにいるなと思い至ったのだ。 エンジニアの最大の幸せは初めて実用化したことにあり、その発想の根底には掛算にある。携帯電話にカメラを付けたら写メールのコミュニケーションが生まれたとか、クロック波形にジッタをわざと持たせたら電磁放射ノイズが下がったとか、その例は枚挙にいとまがない。 それに比べて、足し算な人は科学や数学、哲学の分野に多いと思う。 何で光の速度は観測系によらずに一定なのだろうかのアインシュタインや、古代漢字の起源と万葉集の関係を追い求めた白川静とか、線の上をあっちに行ったりこっちに来たり、あっちから眺めたり、こっちから眺めたり、そのまなざしが非常に鋭くて、深い洞察が得られるまでそこを離れないぞみたいな感じがする。 エンジニアには掛算的な発想が必要で、時間がかかる足し算的な敬遠される。もしかして他の広告の人とか、新ビジネスを考えている人は掛算な人かもしれない。というより、世の中全体が、一所で一生懸命考え続けることを良しとしなくなったのかもしれない。掛算的思考を大急ぎで組み合わせて、何かおもしろいものは無いのかと、ビジネスになることは無いのかと時間あたりの最大効率化を追い...
50歳になって人生の意味を見つめ直すことが多くなりました。フルマラソンを完走して得た結論が「自分の人生を楽しくするのは自分」という当たり前のことでした。決意し実践し感じる事、楽しくできるんだと。55歳目前で楽しいばかりでなく、人生を豊かにすることも大切です。勉強し、考え、やってみて、感じる。それぞれのプロセスを大切にしたいと思います。 鳥を見る事を通して自然と人の関わりを考えるのが好きです。 東日本での大地震と原発事故をこの国と市民が克服し,より住みやすい社会と地域を作れるよう願っています。 Ph.D(工学)@woodie3wopper