近所に放映会&トークがあったので暇に任せて観て来た。
冨田貴史さんがコーディネータ。
初めてお会いしたが、なかなか魅力的な青年だった。まっすぐ目を見つめて話す姿勢には好感が持てたな。
鎌仲ひとみ監督のその映画は、正確にはDVDなんだけど、六ヶ所村に集中する原子燃料サイクル施設などの原子力施設や石油備蓄基地、風力発電といったエネルギー関連施設が集中している寒村に活きる人々の生活、生き方を中心にしたドキュメンタリー。テーマは六ヶ所原子力再処理工場に反対し、1次産業に従事する人々の日々の思いや活動を綴ったものだが、推進派、処理工場に依存する村経済の立場での発言も丁寧に映像に納められている。
(監督が撮ったイラクの劣化ウラン弾がイラクの健康を蝕んでいるというNKHスペシャルはおもしろかったけど、原子力発電廃棄物の劣化ウランが米軍に1トン1ドルで払い下げられ、回り回ってイラクの人を苦しめていると言われたって因果が遠すぎてジャーどうすればいいの、って感じを持ったことを思い出しました。)
この映画にはさまざまな切り口で色々なことを考えることがあるが、
いちばん突きつけられている矛盾は、
「人の命の重みは同じか」
の理念と現実の乖離にあると思った。
簡単な構図として、安全安心便利な生活には電気が必要でそのための迷惑施設は人が住みにくい寒村に置いておけ。って、いう構図。これって結局、経済問題としてしか解けなかったんだな。
憲法で保証されている法の下の平等とか基本的人権の尊重とかはどこいったったの?って、矛盾が今の生活の中に潜んでいることが炙り出されるのです。
原子力発電所や再処理工場に事故が起これば程度の問題で、放射能汚染は地球規模で拡大するので、近い遠いは実はあまり関係ないのだれけど、普段の生活に施設が目に入らない分意識の上に上ることは少ないよなー。ゴミ焼却炉とか、産業廃棄最終処分場とか火葬場が目に入らないと存在しないと思っちゃうのと同じかな。
放射能を出さないとか、温暖化物質を出さないとか皆で環境守って美しい地球を守りましょうって、問題の本質間違えているよね。
46億年の一時期、放射能とか、多くの生物を死に追いやる物質が大量に放出されたからって、地球時間レベルでは大した話じゃなくて、大した話に思えるのは人類の存続を脅かされると感じるからで、それはつまり環境保護が人類存続のための活動だからであるのは間違いない。大体ウランとかの核燃料はそもそも鉱物由来だしね。地下から掘って濃度高めただけだから。温泉だって、大陸が動くのだって、元は放射性元素の核崩壊に伴うエネルギー放出から来てるんだから。
だから、環境保護とか自然を守ろうとかは人類が少しでも長く存在できるための活動に他ならないから、そこはちゃんと共有した上で、自然保護派も建設推進派も議論を進めるべきだろうな。
原発は今のところ必要悪で、誰かが犠牲にならざるを得ないのだけど、そこは経済と引き換えに引き受けてもらうという現実的な解決策以上のアイディアが出ないということなのだろうか。
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