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もう既に省益優先か、大臣

補正予算のムダ削減対象の総額は昨日(2009.10.07)の段階で約2兆5千億円で目標の3兆円に届かなかったそうだ。TVで放映されている部分は、各大臣がこれ以上は無理とか、相当頑張ったとの省よりの発言。 本来、各大臣は内閣総理大臣の代理人で、内閣総理大臣を長とする行政機構である内閣を担うものであり、そのための行政官僚を動かすことにある(参考: 飯尾潤著の「日本の統治機構」 )。政権交代がなされ、行政の連続性より不連続であっても変革を望んだ国民の信託にこれら国務大臣は答えているのだろうか。 各省庁とも数千億の規模の事業仕分けをこれだけの短期間でしたのだろうか。時間が短いことを考えると、上の発言は行政官僚から「不連続性による混乱」を強調されて、挫けた姿に見える。 混乱結構。政権交代の歴史的意味を考え抜き、国益優先で望んでほしい。

空高い秋の気持ちよい日に(ヒヨドリとハヤブサ、時にオオムラサキ)

今日(2009年10月04日)息子と、日本野鳥の会(神奈川支部)の真鶴探鳥会に参加してきました。目当ては三ッ石(真鶴半島先端)を渡るヒヨドリとそれを追うハヤブサです。三ツ石は行ったことが無かったのですが、大潮で潮が引いており先端まで歩いて渡れるほど岩が露出していました。 目当てのヒヨドリは100羽クラスの群れが森から海へと飛び出すのですが何処からともなく現れるハヤブサに翻弄されて中には1羽補食されてしまいました。この狩りのシーンは本当にダイナミックさを感じます。ハヤブサも頑張って捕らえよ、ヒヨドリも命を賭けて逃げよ、と言った気持ちになりました。 ハヤブサは2羽で、雄雌のようです。雄のハヤブサが1羽のヒヨドリを捕まえるところを目撃できました。 と、見ているとヒヨドリに附いて飛び出す鳩がおり、見るとアオバト2羽でした。10:45頃です。ヒヨドリとは別に戻って来たのですが、もどってきたなり常緑の樹に停まって10分ほどして2羽で眠ってしまいました。羽の色から大人のメス2羽のようです。解散する13:00までその場所でズート眠っていました。 この岬で4年観察されてる真鶴の民宿「ひるさいど」のオーナによると、ヒヨドリの渡りのピークは10月20日頃で、押されるようにヒヨドリの群れが後から後から渡って行くそうです。それも初島の南東ではなく三ツ石から東の海の方へ飛んで行くのだそうです。でもアオバトが観察されることは少なく、真鶴ブルーラインの料金所でよく見られるそうです。 帰りの途中によった大磯、万代こゆるぎの森では星槎学園がミニ展覧会を行っており大磯の虫、蝶を見てきました。蝶は61種類観察されており、オオムラサキもいるそうです。コツバメという珍しいチョウチョもいるそうです。石神台の方で、鈴木さんをご存知でした。 というわけで、空高い秋の気持ちよい日を鳥や蝶で楽しんだ良き日でした。

スゴイ本だ。水村未苗著「日本語が亡びるとき」英語の世紀の中で を読んで

スゴイ本だ。 ここまで、日本語の来し方と、行く末を深く考察し、今何をすべきかを解いた本に出会ったのは初めてである。これまでも、大野晋「日本語練習帳」、山口仲美「日本語の歴史」、山口謠司「日本語の奇跡」、小駒勝美「漢字は日本語である」など話題の本、タイトルが興味深い新書を読んで来た。 所がである。歴史の流れ、特に近代の日本が置かれた帝国に飲み込まれないかねない危機的状況の中で、それを回避せんがため如何に日本語を国語として発展させざるを得なかったを見事に書き下している本には出会わなかった。それは父親の仕事の関係で12歳で渡米したものの米国と英語に馴染めずにかといって帰国できる訳も無く、日本文学全集を読むことで自分の孤独感を紛らわせ、日本人としてのアイデンティティを保とうとして来た著者のその生い立ちに追うところが大きい。人は自分の立ち位置を離れ相対化することで、初めて自分の立ち位置がはっきりと分かるようなのものであろう。それゆえ、日本で日本人として生まれ育ったものには分からない感覚なのだ。 本書の主題は、もちろん日本語にあり、日本語が滅びるとは叡智を求める人が英語の知の図書館に吸い寄せられ、日本語が光放つことはないという憂いにあるが、それは世界の普遍語として英語が唯一無二となり更にインターネットの普及により更に英語が世界中の知性である読まれるべき書物を引き寄せることの裏返し、日本の無策な教育と日本語の大切さに無自覚さで起こると解く。そして、英語を母国語とする人々の二重言語者の苦悩と無邪気なまでに普遍語としての英語の力について無邪気なまで鈍感さを嘆く。 著者は気がついていないのだろう指摘がないが、無邪気なまでに鈍感な日本人の日本語の心配のなさは、英語を母国語とする英語の鈍感さと同じであると思う。構図は同じである。少なくとも英語を日本語並みにスラスラとは読めない普通の日本人には、日本語を相対化することができないのだ。英語で読み書きし母国語とするネイティブには英語の普遍語としての意味を見いだせないように、日本語しか読む必要の無い日本人にはその価値が分からない。日本語だけの研究でノーベル物理賞を取ったではないか(周りは世界と繋がげることに相当苦労されたと思うが)。だから何となく日本語は大丈夫という感覚は自分の中にもある。 本書は日本語と英語、そしてフラン...

温暖化ガス25%低減に賛成。でも、世界標準をつかめ。

鳩山首相は9/22、国連気候変動サミットの開会式で演説し、温室効果ガスの排出量を2020年までに1990年比で25%削減すると明言した。 これに賛成である。メディア報道は、反対あるいは懐疑的論調で一色。 環境問題は21世紀前半の、最大の国際的課題の一つである。それは人類存続のため、子孫の継続的な成長を維持するという理念を実現するのがその理由である。そして、新たな国際ルールに対応し、リードするためだ。 その実現性については新政権はあまり多くをまだ語っていない。低炭素化はひとえにテクノロジの開発可否の問題である。国民の努力に大きな期待をしてはいけない。 技術革新と普及の強力なインセンティブ 効率の悪い製品/サービスのペナルティ 例えば、低炭素化社会と矛盾するということで批判の大きい高速料金の無料化だが、その方法次第だろう。例えばこうだ。 ETCは車の個体識別をしている。それなら車がEVなら高速道路の料金は無料、HEV,PHEVなら半額、ガソリン・軽油車なら200%とかすると、一気に車の低炭素化が進むに違いない。 例えば、1次エネルギ部門。こここそ、自民党では解けなかった問題。原子力サイクルを前提に組まれた水力/火力などの政策比率を根本的に変えることが可能だ。分散電源、電源の売買、それを支える日本版スマートグリッド。鉄鋼産業が猛反発するのは当然の反応だが、これをビジネスチャンスにできるかは現在の経営者の力量にかかっている。 ま、色々やりようはあると思う。ただ、そのときに注意が必要なのは世界を御するあるいは制するという意識と行動。低炭素化を進めるにはIECなど世界標準を着実に制定、取り込みながら、それに沿った技術開発を進めるべきだ。携帯電話やハイビジョンテレビのガラパゴス化は避けなければならない。それらを世界中に売り国内に利益還元する(儲ける)のが新たな国際ルールだからだ。 特に、インフラ分野は官民一体で整備して来た歴史もあり、そこにはよく言えば阿吽の呼吸で問題解決して来た。つまり、ドキュメントベースの仕事をしてこなかった。世界標準とは契約の世界であり、仕様書の質がビジネスを決めるという文化。この分野の末端までの意識の大変革が必要である。形ばかりのISO9001だけではだめだ。このビジネスの最前線の意識変革と定着は時間がかかり難しいと思う。...

効率のいい翻訳の覚え書き

縁あって翻訳をしている。 英語の専門書の1章(70ページ)を担当している。出版社から送られて来た英語の元のファイルにはテキストが埋め込まれているので比較的楽に翻訳できると思う。 ここで紹介したいのは、MacOSX(10.5)を使っているのでOSの機能を最大限に使って翻訳しているっていうこと。方法は以下の通り。 プレビューでpdfファイルを表示 訳したい文をマウスで選択 選択部分をMacに英語の文章を読み上げさせる わからない単語はプレビューで単語選んでOS付属の辞典で引く miというフリーのソフトで和訳をずいずいと打って行く ポイントは設定にあり、項番3はマウスを使うなら「サービス」→「スピーチ」→「テキスト読み上げを開始」と深い階層を異動しなければならないが、これをキーボードで一発で起動できるようにしておく。これは誠に簡単で、「システム環境設定」の「キーボードとマウス」の中にある「キーボードショートカット」に登録すればいい。その方法はマニュアルに譲るが、左下のプラス記号”+”を押してアプリケーション毎なり、全アプリケーションなりで最後の「テキスト読み上げを開始」を^+SHIFT+Rとかで定義するだけ。 当然、「辞典で調べる」もキーショートカットを登録しておく。こうすることで大変翻訳の効率化が図れるのでした。文章を英語で読み上げてもらうのはなかなか耳の鍛錬にもなって、また読むより速いので概要を把握するのには非常によろしい。翻訳に必要な微妙な言葉遣いはもちろん元の文章を睨みながら行うのだが、文単位でも頭に概要を描けるのは言いたいことがわかっているので適切な日本語訳が湧いてくるって言うもの。 MacOSXはデフォルトで役に立つツールがいっぱいだ。

六ヶ所村ラプソディーを観た、語った

近所に放映会&トークがあったので暇に任せて観て来た。 冨田貴史さんがコーディネータ。 初めてお会いしたが、なかなか魅力的な青年だった。まっすぐ目を見つめて話す姿勢には好感が持てたな。 鎌仲ひとみ 監督のその 映画 は、正確にはDVDなんだけど、六ヶ所村に集中する 原子燃料サイクル施設などの原子力施設や石油備蓄基地、風力発電といったエネルギー関連施設が集中している寒村に活きる人々の生活、生き方を中心にしたドキュメンタリー。テーマは六ヶ所原子力再処理工場に反対し、1次産業に従事する人々の日々の思いや活動を綴ったものだが、推進派、処理工場に依存する村経済の立場での発言も丁寧に映像に納められている。 (監督が撮った イラクの劣化ウラン弾がイラクの健康を蝕んでいるというNKHスペシャル はおもしろかったけど、原子力発電廃棄物の劣化ウランが米軍に1トン1ドルで払い下げられ、回り回ってイラクの人を苦しめていると言われたって因果が遠すぎてジャーどうすればいいの、って感じを持ったことを思い出しました。) この映画にはさまざまな切り口で色々なことを考えることがあるが、 いちばん突きつけられている矛盾は、  「人の命の重みは同じか」 の理念と現実の乖離にあると思った。 簡単な構図として、安全安心便利な生活には電気が必要でそのための迷惑施設は人が住みにくい寒村に置いておけ。って、いう構図。これって結局、経済問題としてしか解けなかったんだな。 憲法で保証されている法の下の平等とか基本的人権の尊重とかはどこいったったの?って、矛盾が今の生活の中に潜んでいることが炙り出されるのです。 原子力発電所や再処理工場に事故が起これば程度の問題で、放射能汚染は地球規模で拡大するので、近い遠いは実はあまり関係ないのだれけど、普段の生活に施設が目に入らない分意識の上に上ることは少ないよなー。ゴミ焼却炉とか、産業廃棄最終処分場とか火葬場が目に入らないと存在しないと思っちゃうのと同じかな。 放射能を出さないとか、温暖化物質を出さないとか皆で環境守って美しい地球を守りましょうって、問題の本質間違えているよね。 46億年の一時期、放射能とか、多くの生物を死に追いやる物質が大量に放出されたからって、地球時間レベルでは大した話じゃなくて、大した話に思えるのは人類の存続を脅かされ...

この土日は野に海に

この週末は近くの里山と近くの海に自然観察で遊んだ。 いくつかのトピックでいうと、 里山偏(2009/08/01): コハクオナジマイマイがあちこちの草にとりついていた。 キンミズヒキが、ミズヒキと一緒に咲いており、差がわかった。 オチバタキという落ち葉を分解する針のような柄を持つキノコがあること。 キツネノカミソリが咲いていた。 アキノギンリュウソウが出だした。 ミカドアリバチを初めて見た(写真)。 地蜂(オオモンクロベッコウ)が中型のクモを運んでいるところを初めて見た(写真)。 クサグモの後ろ足を押さえると、アリグモとは違って、噛みつこうとした。 海編(2009/08/01): チョウチョウウオが居た(15cm位あり死滅しなかった回遊魚だ!!) カゴカキダイ(?)の幼魚を捕まえようとしたが動きが速く、なかなかのものだ カコノマクラという棘皮動物(ウニの仲間)を初めて認識した トラウツボが居た タコをここで初めて見た。色の変化の瞬間芸が見事だ。 この週末は、悪い天気にもかかわらず山に海に大遊びの日々だった。