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この土日は野に海に

この週末は近くの里山と近くの海に自然観察で遊んだ。 いくつかのトピックでいうと、 里山偏(2009/08/01): コハクオナジマイマイがあちこちの草にとりついていた。 キンミズヒキが、ミズヒキと一緒に咲いており、差がわかった。 オチバタキという落ち葉を分解する針のような柄を持つキノコがあること。 キツネノカミソリが咲いていた。 アキノギンリュウソウが出だした。 ミカドアリバチを初めて見た(写真)。 地蜂(オオモンクロベッコウ)が中型のクモを運んでいるところを初めて見た(写真)。 クサグモの後ろ足を押さえると、アリグモとは違って、噛みつこうとした。 海編(2009/08/01): チョウチョウウオが居た(15cm位あり死滅しなかった回遊魚だ!!) カゴカキダイ(?)の幼魚を捕まえようとしたが動きが速く、なかなかのものだ カコノマクラという棘皮動物(ウニの仲間)を初めて認識した トラウツボが居た タコをここで初めて見た。色の変化の瞬間芸が見事だ。 この週末は、悪い天気にもかかわらず山に海に大遊びの日々だった。

オープンキャンパスには父親と行くべきだ

お休みをいただいて東京海洋大学(海洋科学部)のオープンキャンパスに行ってきた。大学の考えや学科、研究室の特徴などよくわかり、また研究の内容と取り組みの姿勢を知ることができ非常に知的にも楽しかった。 中でも、分析技術を研究しているある女性教授の研究室を見学させていただいたが、この方なら安心して子供を託せると感じた。迫力のある方で、「大学のブランド向上のため、厳しく研究を進めている」とおっしゃっておられたのがその理由である。 他方、食品のアレルギーをあつかった別の研究室の紹介では、研究紹介パネルのできが悪い。研究内容はわかるものの、そもそもの研究目的や成果の社会的な意義や効果が書かれておらず、これはいかにも手抜きである。学生への教育もなされていない様に感じた。ここの研究室は勧められないな〜。教授の社会に対するアカウンタビリティー軽視が手に取るようにわかってしまった。研究室は玉石混合であるが総じてなかなか魅力的な大学と感じた。 オープンキャンパスの見学者数は大学の予想を超えた様で、平日ためだろう母親と来た高校生が多かった。男子生徒に畳みかけるように話している母親の姿を多く目にした。それ自身は各家庭の問題で是非もないのだが、案外、子供はウザイという顔はしていなかった。ちょっと意外。 そんな光景を目にしたからではないが、オープンキャンパスには父親と来る方がいいと思う。その理由は、 (1)父親の理解度が非常に高くなる (2)実務経験が長い方が大学・研究室が信頼に足るのかを見わけられる (3)反抗期の子供と父親との接点が増える (4)進路相談を、共通の実例を交えて相談にのれる などであろうか。進路自身は本人にしか決まられないが、大学は善し悪しがあるのでそれは実社会の経験が長い親が見分けられると思った。もし母親がキャリアウーマンなら母親がオープンキャンパスに行ったらいい。 オープンキャンパスは父親世代が通った頃には無かった仕組みであり、大学も大変化している。実社会と進路を結ぶ大学の選定は皆入学可能な世代だけに父親の実務経験が生きると感じた。

民主党マニフェストは論理構造が下手

昨日(2009.07.27)、 民主党のマニフェスト(鳩山政権の政権構想) が発表された。今日も、メディアは侃々諤々。今日の段階では、財源がどこなのか、バラマキなのではないかと与党も批判している。 私は、このマニフェストを新聞で読んだときの違和感を述べてみたい。 それは原則のわかりにくさである。再記すると、以下の5つ。 原則1 官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。 原則2 政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ。 原則3 各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。 原則4 タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。 原則5 中央集権から、地域主権へ。 民主党のマニフェストでは、「国民の生活が第一」、「暮らしのための政治を。」が大きな文字で書かれている。このキャッチフレーズと原則の乖離に違和感がある。 書かれている原則は政治の政策決定、統治機構に関するものだ。これらの原則が導かれる上位の理念が「〜生活第一」云々なのだろうか。かなり無理があると感じる。原則からどうやって我々市民の生活につながるのだろう。 科学の世界では、どうしても証明できない事象を原理とする。その原理を正しいと前提にして、化学なり量子力学なりを構築する。例えば、光速は測定系によらず一定であるとか、不確定性原理とかがそれである。原理をアプリオリに受け入れて、自然現象をうまく説明できるのがよい理論である。演繹法と帰納法を用いて論を進めることになれた身には相当違和感のあるマニフェストの構造である。 それでも、マニフェストP2の左側を読むと、少しわかってくる。原則を導く理念は「古い仕組みを終わらせ、生活の安定による国全体の活力を押し上げること」のようである。あーなるほどね。もしそうならこのマニフェストは下手だねー。前半は原則に盛り込まれているが、後半は、5原則のどこにもない。続く5策にもない。その次のマニフェスト工程表にやっと現れる。これって、読めばわかるだろの上から目線の読みにくい構造をしているね。 民主党マニフェストは論理構造の提示が下手。公約が百花繚乱で何も理念など感じ取れない従来与党のマニフェストよりよっぽどマシではあるのだが。 書かれている内容は(財源含めて)改めて書い...

ネジバナの右巻き:左巻き、あるいは小雨の清里&入笠山

この週末(2009.07.18-19)はETCで高速1000円ポッキリを利用して、地元の友人たちと清里高原と入笠山に行ってきた。 主な目的は鳥見(バードウォッチング)なのだが、湿原の花とか虫とかもついでに見てきた。 早朝に自宅を出て須玉ICと清里の間の道の駅に着いたのは7時頃。朝食のおにぎりをほお張りながら行き来するツバメを見ていると、近くの山からガビチョウの聞き慣れた声がする。あ〜、こんな所まで普通に聞こえるようになったか。 気を取り直して、国道141号線を清里に向かい、山梨県と長野県の県境尾根から赤岳に続く登山道を途中小雨ながら1kmほどあるく。その間、メボソムシクイ、ウソ、ルリビタキ、コガラ、アオジ、ミソサザイなどを聞く。地面に目をやると、セセリチョウの幼鳥が芽吹いたばかりの丸まった若い笹をかじり、その葉が大きくなって広がって、かじった部分が複数の穴となった葉を見た。そんなことがあるんだ。良くそんなことをしっているなこの人たちは。 八ヶ岳牧場に移動すると、ノビタキ、ホオアカやアオジが虫を加えてそれぞれの巣と思われる地面に降りていく。空気は霧で覆われたり、少し晴れたりしたが、薄くなると黒々とした八ヶ岳の森が透けて、霧の中に何か黒い煙のように見えた。そんな中をアオアツバメが飛んでいく。ツバメの完全アルビノが飛んでいく。一瞬、シロアジサシかと思った。あー、びっくり。 大学で植物と動物の関係を調べている一人の友人は、草本より木を覚えるのが難しいという。花期だけでなく花の無い秋なども確実に識別するためには葉での識別が必要でこのためには、 馬場多久男著「葉でわかる樹木」信濃毎日新聞社 が優れているという。その彼女とは面白い話ができた。私は植物は種類が多すぎるので科のレベルなど大括りで識別できればいいのではないか、と思っているが、それをいうと植物にも他人の空似は多く、科を跨いでの空にも多いので科のレベルの識別は難しかろうというのが彼女の率直な意見。ま〜、分からない/知らないことの言い訳なのだけど、それでも面白い議論ができた。 私:「ある植物はなぜ他の科の植物に似るの?」 友人:「進化の収斂もあるが、擬態もあるよね。」 私:「ベーツ型擬態(笑)?」←無毒のアゲハモドキが有毒のジャコウアゲハに擬態していることがその一例。 友人:「虫とか...

号外は出たけれど

麻生総理の決断により8月30日に衆議院を解散するとの新聞(号外)が出たけれど、ニュースを読み聞きしていると何かしら、気持ち悪いものが現在進行形で蠢いているそんな光景を見ているような気がする。 元々、色々批判はあるだろうが、野党に目茶苦茶風が吹いているといった状況で、衆議院自民党議員全員に信任された現首相が属する自民党が内側から溶けて、なにかしらおどろおどろしいもの達が一斉に袋から出てきた感じを受けるのだ。確かにそんな感じの気持ち悪さがある。戦う前に着地点をキチンと議論しているのだろうか。 大きな虎だと思っていた自民党は実は張りぼてで、中から膿や蛆やが出てくるそんな感じの組織に見えるのだ。

7月の第2週カウント

この土曜日(2009.07.11)も近くの里山に仲間と出かけた。 集合場所の池では蓮の花が咲き出していた。 早速歩き出すと水平に張ったクモの巣があり、お尻の綺麗なクモが餌にかぶりついている(1番目の写真)。 サンコウチョウの声を聞きながら、風のない林道を登って行く。ダイコンソウが黄色く小さい花をつけている。今日はアゲハモドキが多い。ミズキが食草だという(2番目の写真)。 イヌゼンボンダケ、やムラサキニガナも終わりながら咲いている。 今日はアリグモと遊んだ。 どんなアリでも一つの足を押さえると、逃げようとすると当時にしきりに大顎でその押さえている物体に噛みつこうとする。ところが、アリグモで同じように試すと、その巨大な大顎とは裏腹に大顎を使うこともなく、体を変えることもなく、ひたすら足が抜け出せるように引っ張るだけなのだ。 へ〜〜、、、アリとクモって違うんだ。見た目が同じなんだけど、アリの方が強いなって感じをもった一日だった。

日経新聞の社説(2009.07.06)は意図的なごまかしがある

今日は新聞の批判 本日(2009年07月06日)の日本経済新聞11版の社説「 憲法審査会を参院も速やかに 」に意図的なごまかしがあると思うので、その批判をしたい。 その社説では、衆参両院に設置された憲法審査会の休眠状態を打開する第一歩として衆院での始動体制を評価し、参院でもその活動を再開せよとの社説である。その理由が、投票権の18歳引き下げの取り組みをあげる。2007年に成立した国民投票法がその憲法審査会の設置理由だが、審査会ではさまざまな課題や論点について与野党の建設的な議論が期待されるとする。 しかしである。憲法審査のさまざまな論点とはすなわち憲法9条が最大であり、そのことこそが現在と将来の日本国を決定的に影響するため、その議論なしに審査会の意味は無い。そしてそれが証拠に、国民で選らばれた議員と首相が決められない事柄を、国民が直接投票して決めるのが国民投票法の趣旨であるはずである。 それにも関わらず、問題を18歳投票権の引き下げ問題にすり替え、18歳投票こそが憲法審議会の主な議題であるかのような論の進め方は稚拙で、間接的で、読者を惑わす、それこそ日経新聞の見識を、もしかすると隠れた意図が裏にあるかのような勘ぐりを逆にしたくなる。 このような意図的なごまかしの社説は日経新聞自身のブランドを傷つけ、信頼性を揺らがせるオピニオンである。