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7月の第2週カウント

この土曜日(2009.07.11)も近くの里山に仲間と出かけた。 集合場所の池では蓮の花が咲き出していた。 早速歩き出すと水平に張ったクモの巣があり、お尻の綺麗なクモが餌にかぶりついている(1番目の写真)。 サンコウチョウの声を聞きながら、風のない林道を登って行く。ダイコンソウが黄色く小さい花をつけている。今日はアゲハモドキが多い。ミズキが食草だという(2番目の写真)。 イヌゼンボンダケ、やムラサキニガナも終わりながら咲いている。 今日はアリグモと遊んだ。 どんなアリでも一つの足を押さえると、逃げようとすると当時にしきりに大顎でその押さえている物体に噛みつこうとする。ところが、アリグモで同じように試すと、その巨大な大顎とは裏腹に大顎を使うこともなく、体を変えることもなく、ひたすら足が抜け出せるように引っ張るだけなのだ。 へ〜〜、、、アリとクモって違うんだ。見た目が同じなんだけど、アリの方が強いなって感じをもった一日だった。

日経新聞の社説(2009.07.06)は意図的なごまかしがある

今日は新聞の批判 本日(2009年07月06日)の日本経済新聞11版の社説「 憲法審査会を参院も速やかに 」に意図的なごまかしがあると思うので、その批判をしたい。 その社説では、衆参両院に設置された憲法審査会の休眠状態を打開する第一歩として衆院での始動体制を評価し、参院でもその活動を再開せよとの社説である。その理由が、投票権の18歳引き下げの取り組みをあげる。2007年に成立した国民投票法がその憲法審査会の設置理由だが、審査会ではさまざまな課題や論点について与野党の建設的な議論が期待されるとする。 しかしである。憲法審査のさまざまな論点とはすなわち憲法9条が最大であり、そのことこそが現在と将来の日本国を決定的に影響するため、その議論なしに審査会の意味は無い。そしてそれが証拠に、国民で選らばれた議員と首相が決められない事柄を、国民が直接投票して決めるのが国民投票法の趣旨であるはずである。 それにも関わらず、問題を18歳投票権の引き下げ問題にすり替え、18歳投票こそが憲法審議会の主な議題であるかのような論の進め方は稚拙で、間接的で、読者を惑わす、それこそ日経新聞の見識を、もしかすると隠れた意図が裏にあるかのような勘ぐりを逆にしたくなる。 このような意図的なごまかしの社説は日経新聞自身のブランドを傷つけ、信頼性を揺らがせるオピニオンである。

7月第一週の散歩

近所の里山に仲間とバードウォッチングに行った。 歩き出すといきなりキヌガサダケが迎えてくれた(写真)。最初スッポンダケと思ったものが、帰るころに笠が出てキヌガサダケと分かった。 ウグイスやキビタキがまださえずっている。ホオジロのような地鳴きで、だけど一声づつ”チィ、チィ”と鳴くヤブサメが姿を見せた。”シシシシ”と最後鳴いたが、お年を理由に聞こえない方もおられる。ガビチョウは年中にぎやかだ。アオバトも今日は多く鳴いている。 夏は虫の季節だ。 イオウイリハシリガモが止まっている。シオヤアブがエサキモンキカメムシを捕まえている。橙色のパンツをはき、顔に花飾りを付けたようなオオイシアブが迫力ある飛び方をしている。 ミンミンゼミが今シーズン初めて鳴いていることに気がついた。

神奈川15区は波乱が起こる!?

衆議院議員選挙が近い。 前回の郵政民営化で大勝した自民党の反動と1年毎に交代する首相に嫌気がさしてからか、 今回は、 民主党の政権交代が現実味を帯びて来た。そこで、本当に民主党に政権を任せていいのかの慧眼が市民に求められる訳である。 通勤途中に頂いた民主党のパンフを見て、今日(6/20)に「なぜ今政権交代か」の時事講演会に行って来た。目玉は渡部恒三氏の講演にあるのだが、到着が若干遅れ、その間 ”かつまた恒一郎” 氏の挨拶があった。実は、かつまた氏には前回の衆議院の選挙期間中にお会いしており、そのときの印象は、「中身はともかく喋れない人」とネガティブなものであった。第一印象で政治家には向いてないと思ってしまったのである。しかし、今日の話を聞くと今回の神奈川15区はどちらが勝つのか分からないと思ってしまった。 神奈川15区は河野家の地盤が盤石な土地柄である。その衆議院議員の河野太郎氏は ごまめの歯ぎしり で政策をアピールしているが、今回の補正予算に盛り込まれた「 国立マンガ喫茶が117億円を駈けて箱ものを作る理由が全く不明」と事業仕分け(文科省の公益法人の棚卸し)で指摘したこととその対応の矛盾を ”かつまた”氏は突いて来た。補正予算を通した後にイチャモン付けるのはマッチポンプだと指摘したのである。 改めて「 ごまめの歯ぎしり 09年6月12日号 − 2 」を読むと、なるほど、文科省は無駄遣いをしているのかもしれないと思うが、本質的な疑問である 「なんで補正予算に反対しなかったのですか」 という質問に 「15兆円の景気対策の補正予算に、117億円がおかしいからと反対はできない。」 の太郎氏の説明では、自民党は自浄作用が利かずとの民主党の指摘の方が説得性がある。 また、政権交代で何をするのかについては、”かつまた”氏は、それは「税金の使い方を直す」のだという。役人の役人による役人のための予算となっている現状を、高級官僚の天下りを例に批判している。天下り先が4500団体あり、その予算が年間12兆円で、天下り役人が25、000名いることが、参議院で過半数をとって初めて分かったそうである。それを福祉にまわすのが目的であり、そのことで代官に見立てられた役人から税金を市民に配分し直すのが目的である。この構図は、水戸黄門が悪代官を懲らしめる図に等しいと渡部恒三氏は指摘する。...

シバザクラの記事に思う

つぐみ(日本野鳥の会、福井支部発行、2009年6月号)に支部長の柳町邦光氏の記事「土手のシバザクラ群来に思うこと」を読んだ。シバザクラの群生の問題点が簡潔に記されており、それを備忘録として記したい。 まず、「水田に水が入って周りの緑を映しこんでいる田んぼでは、土手に咲いているシバザクラがひと際鮮やかに写っています。遠くから眺めるとシバザクラの畝が浮かび上がって、その広がりの美しさに圧倒されそうです」と新しい田園の風景を取り上げます。その後、以下の問題点を指摘します。 1.シバザクラは北米原産の外来種であること 2.管理された公園でなく、農耕地で(一種類のみ)植えられていること 3.その植え方が土手一面をシートを張り付けて株の部分だけ穴をあけて植える手法を取っていること 4.そのため、土手に根を張って来た在来種は全く呼吸もできず全滅に追いやられてしまうこと 5.これら在来種はこの地で生きて来た他の多くの生き物とつながりを持って来たはず(種子は野鳥の餌、葉は昆虫類の生息に寄与するなど) 6.この方法での土手の植栽が増えていること 7.自然再生を基軸にした生物多様性の保全が問われている(時流に逆行する) そして、「耕地管理の省力化(雑草抜き)は理解できるが、もっと在来種を利用した植え付けや草花の咲く土手に多くの生き物住み着いてくれる方法があるものと思い、〜、私たちの足下からでも昔にあった自然を取り戻そうではありませんか」と結ぶ。 確かにシバザクラの群落は目に見事であるが、その植栽の方法や、そこにいたこれまでの生き物のことには思いが及んでいなかった。なるほどシバザクラだけの土手ではそれこそ「沈黙の冬」となって、鳥たちに餌を供給できないかもしれない。冬の田んぼは雪が無い当地ではホオジロの仲間、カワラヒワ、アトリの仲間やタヒバリなど実は非常ににぎやかでバードウオッチングも楽しいのである。農耕地をレクレーションの場として楽しむバーダにはシバザクラはそんな捉え方ができる問題をはらんでいる。しかし、生産者としての立場に立つと氏の結論は無神経な論に思えてします。 生物の多様性とは農地にとってみれば害虫の種類が多いことを意味しないだろうか。そして、昔にあった自然を取り戻そうとは、生産者に昔の手間のかかる方法をとれとは言っては無いだろうか。そうではなく、現代的な手法を組み合わせて種の多様性...

「クモ学」を読んで

小野 展嗣 (著) 「クモ学—摩訶不思議な八本足の世界」を楽しくも感心して読んだ。 この著者は本当にクモが好きで、クモで生活を成り立たせている方である。そんな人の書いた本がおもしろくない訳が無い。 まず、「クモの息づかい」と題して第1章が始まる。そして、クモはなぜ女性に嫌われるのかの分析を軽くまとめ、軽い嘆息とともにクモ目線でおののく女性に対峙したクモの立場に立ってクモの行動と形態、生態へと筆を進める。第2章では「織り姫の履歴書]と題し、クモの糸の仕掛けと仕組み、第2章では「クモの一生」の題目通り生まれて死ぬまで、また生殖の特異性に付いて述べた後、続いて「クモの日常と非日常」で様々な交尾中の自殺的行為、集団での狩り、自分の巣に絡まないクモの訳などクモのおもしろ生態を披露する。続く5章,6章で形態学+生物地図、進化学を俯瞰し、7章ではクモの人間学として、タランチュラを題材に人が如何に偏見の眼差しで見るようになったのかを詳述する。 この著者のすごいところは、毒蜘蛛と曲解されているタランチュラがイタリアの南部の港町ターラントであることから、現地調査をしているところである。結果は読んでいただくとして、ターラントでの取材の経緯や鳥喰い蜘蛛のいわれを明らかにして行く。クモが人に毛嫌いされていることからの偏見に抗議しているかのようだ。 そして、第8章では記憶に新しい「セアカカゴケグモ事件」のドタバタ顛末をドタバタに巻き込まれた当事者として記し、最終章でクモ学への招待として一人でも多くの人にクモ好きになってほしいとメッセージが語られる。 読後感は、クモ好きのクモ研究者の書くクモの本はさすがに迫力があり、またこの一途さに笑ってしまう、なんとも爽やかな印象が残るのである。昆虫が好きな人も(多分読まないだろうけど)クモが嫌いな人にも、博物学的な、あるいは雑学的なことが好きな方、皆にお勧めする本である。イヤーおもしろかった。

週末の楽しむ(近所の森を歩くこと)

週末のもう一つの楽しみが、野鳥などとの出会いを胸に近所の森を歩くことです。 今日も変な生き物たちを出会えました。 ホトトギスが鳴き交わし、アオバトも空を飛んでいます。 昨日の雨が空気を洗い流したのか、遠くランドマークタワー(横浜)や三浦半島(神奈川)を超えて、千葉の館山も見えます。 ヨツボシモンシデムシが甲羅いっぱいにダニを背負っています。そんなにおぶって何をしたんだい(写真)? ベニサシガメ、子蜘蛛のまどい、虫コブ、タイコウチ、ラミーカミキリ、クモに咬まれて間もないカノコガなどなど。 その他、キビタキの♀(成長)が目の前に止まってくれた。サシバも飛び、ヒバリのさえずりもいい感じ。ガビチョウもうるさいんだけどね。 色々な発見があるから森ウオークはやめられない。