正しく恐れるために正しく知識を身につけなければならない.
低量放射線なら問題無いとする一般向けの本を読んだ[1].
著者の近藤宗平さんは,コトバンク[2]によると
とある.
第三版改訂版のまえがきに動機と要約している.
「毒か安全かは量で決まる」とパラケルススの経験則をふまえると,1958年に国連原子放射線科学委員会が採択した「どんなに微量でも毒だ」の仮説は誤りで,著者の研究結果を踏まえ「放射線を少し浴びた場合でも被曝による傷が体から完全に排除される」ことの科学的根拠を述べた.この「防衛機構がp53タンパク質の絶妙な働きにより」その魅了と感動を読者に伝えたいので第三版に改訂したとのことだ.
序章では著者の原子放射線との係わりが書かれている.
1945年8月6日に広島の被災1週間後の8月13日に第2次調査班のメンバとして参加している.広島駅に着いてしばらく茫然とたっていた.海が見える範囲までい瓦礫と化して市街が消えていた.原子爆弾による破壊だと思ったという.当時京都大学理学部物理学科の実験原子核物理教室の3回生だったそうだ.爆心近くの光景はひどい火傷や怪我をおったって横たわる多数の人で,それは私たちが繰り返し聞かされるその話なのだろう.ここを読むと改めて広島と長崎への原子爆弾はトルーマン大統領が決断し実行させた,市民を大量殺戮したジェノサイドだったということを思い起こす.
終戦後の混乱期にありラジオ屋や紡績会社の電気係,熊間と大学の付属高等学校での勤務したが,暇を見つけて熊本大学の物理教室に出入りし理論物理学の勉強を始めた.3年後京都に戻り高校に勤めながら物性論の研究の仲間に入った.戦後の物資欠乏期にあって紙と鉛筆と時間があればできる理論物理学は楽しかったという.液体の表面張力の分子論を原島鮮,岡小天,小野周の諸先生に指導を受けアメリカの専門誌に投稿しこれがきっかけでシュプリンガーの物理百科全書に液体の表面張力の分子論の総説を共著で書くことになる.こうして専門家の道が開けていく.仕事を持ちながらこういったことはなかなかできないものだ.配位場理論の名著も執筆者の一人は就職した後も計算を続けまとめたものであることを思い出した.「複雑に見える現象の根底にはしばしば単純な法則が潜んでいる,それを見つけることに私は一番の魅力を覚える」というのも研究推進の動機であったろう.
目に見えない放射線の影響は火傷と違って後になって障害が現れる.原爆放射線の人体影響がなぜいつまで尾を引くのか,最も単純な生物の一種バクテリアを使って生命の根源にまで遡って研究しようと思い至り,放射線の専門家とバクテリアの生物学者を集めて新しい講座をスタートさせたという.「生命は放射線になぜ弱いか」の答えを求めて.
定年後には,チェルノブイリ原発事故の放射能汚染におびえて暮らしているソ連の人たちを思えばノーベル賞を与えられた研究よりも市民のための科学が大事であると思うようになったという.至言である.
第I章は放射能の不安を書いている.
チェルノブイリ原発事故の2年後白ロシア(ベラルーシ)とウクライナ北部に強い放射能汚染が残っている.一番ひどい汚染地帯では150万ベクレル/m^2で,半減期30年のセシウム137が主犯である.
放射能汚染を強く受けた地域の全ソ連特別登録者17万人の健康調査では高血圧・糖尿病・虚血性心臓病・神経病・潰瘍・慢性気管支炎が1988年にはそれまでの2〜4倍に増加した.また先天性異常が汚染地域では白ロシア全体の平均頻度の1.2倍に増えたとされるが,前の調査との精度の差,個人被曝量の正確な値がわかっていないので病気の増加と被曝量の関係が証明された例はほとんどないようであるとしている.またストレスが肉体的病気の増加の原因と見ているようだ.
第II章は放射線の人体への影響が書かれている.
放射線急性症から回復しても大量被曝した人の発ガン率は被曝しなかった人のそれよりも高い.この発ガンの危険率には「その線量以下なら危険率はゼロという”安全量”はない」という考えに基づき1958年最初の国連科学委員会で国際的合意として採択され,以降疫学的証拠に手を加えながら放射線による発がん性と遺伝的影響に関する危険度を数値として発表している.この考え方を「直線しきい値なし仮説」と呼びこれが正しいかをこの章で評価している.
著者の主張は,「国連科学委員会(UNSCEAR)と国際放射線防護委員会(ICRP)が低線量域の実際のデータを無視して直線仮説にもとづいて微量の放射線を厳重に管理するように具体的案を各国政府に勧告してきた.これは20世紀最大の科学的スキャンダルであるという意見に賛成せざるを得ない.」にある.
放射線の影響の中で一番敏感に検出できるのは染色体異常であり広島長崎とも被曝量に応じて線形的に染色体異常(交換型)の頻度が上昇している.「最近の技術によると数ラド(数センチグレイ)の被曝でも染色体異常でもって検出できる」と書いている.ここで低線量の被曝が発ガンさせるに著者は否定的である.
被爆後5年から40年にわたって5種のガン(白血病,胃がん,肺がん,結腸がん,乳がん)による死亡を調査した結果によると,どのガンも60ラド(60センチグレイ)以上の被爆の死亡率は被爆量にほぼ比例して増えているが,20ラド(20センチグレイ)以下では被爆でガン死亡率が増えたとは言えないと指摘する.
放射線防護の相対リスクの考え方は,被ばくによる固形ガンの死亡増加率は被爆後の経過時間によらず一定で,その増加量は被ばく量に比例する.比例係数は過剰相対リスク係数と呼ばれUNSCEAR/ICRPはその値を公開している.これを使ってチェルノブイリ汚染地の白血病死亡に適用すると過大な値が出るという.実際のベラルーシの200万人の子供の調査結果は事故後死亡率は上昇していないにもかかわらず推定値は過大で間違えていると指摘する.ここから「10ラド(10センチグレイ)以下になれば放射線ガンのリスクは存在しないと示唆される」と結論づけている.なお甲状腺ガンに対する記述はない.「この間違った仮説に基づく勧告が20世紀最大の科学スキャンダル」と指摘している.
また,放射線に弱い胎児でも被曝リスクが最大の妊娠8〜15週でも20ラド(200センチグレイ)以下では無害とする.それよりアルコールは妊娠中に暴飲すると催奇作用が強いこと,チェルノブイリ事故以降欧州で数万の妊娠中絶が医師その他の勧告で行われたことを,無知は罪悪と悲しんでいる.
(今日はここまで 2011.04.17)
Ref.
1. 近藤宗平、「人は放射線になぜ弱いのか(第3版)」BLUE BACKS2008年03月第5刷
2.コトバンク http://kotobank.jp/word/近藤宗平
低量放射線なら問題無いとする一般向けの本を読んだ[1].
著者の近藤宗平さんは,コトバンク[2]によると
近藤宗平 こんどう-そうへい
1922- 昭和後期-平成時代の放射線遺伝学者。
大正11年5月7日生まれ。国立遺伝学研究所勤務などをへて,昭和38年阪大教授となる。のち近畿大教授。放射線による突然変異の機構を研究し,損傷したDNAの修復の誤りががん化にもつながることをあきらかにした。福岡県出身。京都帝大卒。著作に「人は放射線になぜ弱いか」など。
とある.
第三版改訂版のまえがきに動機と要約している.
「毒か安全かは量で決まる」とパラケルススの経験則をふまえると,1958年に国連原子放射線科学委員会が採択した「どんなに微量でも毒だ」の仮説は誤りで,著者の研究結果を踏まえ「放射線を少し浴びた場合でも被曝による傷が体から完全に排除される」ことの科学的根拠を述べた.この「防衛機構がp53タンパク質の絶妙な働きにより」その魅了と感動を読者に伝えたいので第三版に改訂したとのことだ.
序章では著者の原子放射線との係わりが書かれている.
1945年8月6日に広島の被災1週間後の8月13日に第2次調査班のメンバとして参加している.広島駅に着いてしばらく茫然とたっていた.海が見える範囲までい瓦礫と化して市街が消えていた.原子爆弾による破壊だと思ったという.当時京都大学理学部物理学科の実験原子核物理教室の3回生だったそうだ.爆心近くの光景はひどい火傷や怪我をおったって横たわる多数の人で,それは私たちが繰り返し聞かされるその話なのだろう.ここを読むと改めて広島と長崎への原子爆弾はトルーマン大統領が決断し実行させた,市民を大量殺戮したジェノサイドだったということを思い起こす.
終戦後の混乱期にありラジオ屋や紡績会社の電気係,熊間と大学の付属高等学校での勤務したが,暇を見つけて熊本大学の物理教室に出入りし理論物理学の勉強を始めた.3年後京都に戻り高校に勤めながら物性論の研究の仲間に入った.戦後の物資欠乏期にあって紙と鉛筆と時間があればできる理論物理学は楽しかったという.液体の表面張力の分子論を原島鮮,岡小天,小野周の諸先生に指導を受けアメリカの専門誌に投稿しこれがきっかけでシュプリンガーの物理百科全書に液体の表面張力の分子論の総説を共著で書くことになる.こうして専門家の道が開けていく.仕事を持ちながらこういったことはなかなかできないものだ.配位場理論の名著も執筆者の一人は就職した後も計算を続けまとめたものであることを思い出した.「複雑に見える現象の根底にはしばしば単純な法則が潜んでいる,それを見つけることに私は一番の魅力を覚える」というのも研究推進の動機であったろう.
目に見えない放射線の影響は火傷と違って後になって障害が現れる.原爆放射線の人体影響がなぜいつまで尾を引くのか,最も単純な生物の一種バクテリアを使って生命の根源にまで遡って研究しようと思い至り,放射線の専門家とバクテリアの生物学者を集めて新しい講座をスタートさせたという.「生命は放射線になぜ弱いか」の答えを求めて.
定年後には,チェルノブイリ原発事故の放射能汚染におびえて暮らしているソ連の人たちを思えばノーベル賞を与えられた研究よりも市民のための科学が大事であると思うようになったという.至言である.
第I章は放射能の不安を書いている.
チェルノブイリ原発事故の2年後白ロシア(ベラルーシ)とウクライナ北部に強い放射能汚染が残っている.一番ひどい汚染地帯では150万ベクレル/m^2で,半減期30年のセシウム137が主犯である.
放射能汚染を強く受けた地域の全ソ連特別登録者17万人の健康調査では高血圧・糖尿病・虚血性心臓病・神経病・潰瘍・慢性気管支炎が1988年にはそれまでの2〜4倍に増加した.また先天性異常が汚染地域では白ロシア全体の平均頻度の1.2倍に増えたとされるが,前の調査との精度の差,個人被曝量の正確な値がわかっていないので病気の増加と被曝量の関係が証明された例はほとんどないようであるとしている.またストレスが肉体的病気の増加の原因と見ているようだ.
第II章は放射線の人体への影響が書かれている.
放射線急性症から回復しても大量被曝した人の発ガン率は被曝しなかった人のそれよりも高い.この発ガンの危険率には「その線量以下なら危険率はゼロという”安全量”はない」という考えに基づき1958年最初の国連科学委員会で国際的合意として採択され,以降疫学的証拠に手を加えながら放射線による発がん性と遺伝的影響に関する危険度を数値として発表している.この考え方を「直線しきい値なし仮説」と呼びこれが正しいかをこの章で評価している.
著者の主張は,「国連科学委員会(UNSCEAR)と国際放射線防護委員会(ICRP)が低線量域の実際のデータを無視して直線仮説にもとづいて微量の放射線を厳重に管理するように具体的案を各国政府に勧告してきた.これは20世紀最大の科学的スキャンダルであるという意見に賛成せざるを得ない.」にある.
放射線の影響の中で一番敏感に検出できるのは染色体異常であり広島長崎とも被曝量に応じて線形的に染色体異常(交換型)の頻度が上昇している.「最近の技術によると数ラド(数センチグレイ)の被曝でも染色体異常でもって検出できる」と書いている.ここで低線量の被曝が発ガンさせるに著者は否定的である.
被爆後5年から40年にわたって5種のガン(白血病,胃がん,肺がん,結腸がん,乳がん)による死亡を調査した結果によると,どのガンも60ラド(60センチグレイ)以上の被爆の死亡率は被爆量にほぼ比例して増えているが,20ラド(20センチグレイ)以下では被爆でガン死亡率が増えたとは言えないと指摘する.
放射線防護の相対リスクの考え方は,被ばくによる固形ガンの死亡増加率は被爆後の経過時間によらず一定で,その増加量は被ばく量に比例する.比例係数は過剰相対リスク係数と呼ばれUNSCEAR/ICRPはその値を公開している.これを使ってチェルノブイリ汚染地の白血病死亡に適用すると過大な値が出るという.実際のベラルーシの200万人の子供の調査結果は事故後死亡率は上昇していないにもかかわらず推定値は過大で間違えていると指摘する.ここから「10ラド(10センチグレイ)以下になれば放射線ガンのリスクは存在しないと示唆される」と結論づけている.なお甲状腺ガンに対する記述はない.「この間違った仮説に基づく勧告が20世紀最大の科学スキャンダル」と指摘している.
また,放射線に弱い胎児でも被曝リスクが最大の妊娠8〜15週でも20ラド(200センチグレイ)以下では無害とする.それよりアルコールは妊娠中に暴飲すると催奇作用が強いこと,チェルノブイリ事故以降欧州で数万の妊娠中絶が医師その他の勧告で行われたことを,無知は罪悪と悲しんでいる.
(今日はここまで 2011.04.17)
Ref.
1. 近藤宗平、「人は放射線になぜ弱いのか(第3版)」BLUE BACKS2008年03月第5刷
2.コトバンク http://kotobank.jp/word/近藤宗平
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