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ライフログをしたいだけなのに。ログインサイトの向こうのデータが自動で取り出せない。

オムロン社の体組成計、血圧計や活動量計を毎日つけている。 Wellnesslinkで2週間毎にサーバにアップしているが、このCSVデータを自宅Macにダウンロードするのが面倒臭い。半年しかサーバにデータが保存され無いのでそのうち消えてしまうのだ。 という訳で、プログラムで解決できないか、暇に任せて挑戦してみたのだ。 ログインとパスワードを如何にクリアしてサイトに入るのかが課題。Webスクレイピングというらしい。Terminalでpythonでするのか?統計解析プログラムRでするか? そうだMathematicaがあるじゃないか?  Version9の特徴にwebの操作がある。 URLFetch[] がそれだが、試してみると例題のそれはうまく行くが、Wellnesslinkのサイトではうまく行っていない。別ウインドウでユーザ名とパスワードを聴いてくるものや、パラメータで渡すものはできるようだが、今主流の の記載のHTTPにログイン情報を渡す方法が分からない。そもそもMathematicaは情報が少ない。  完全なWebアクセスのサポート さてどうしたものか。まだCGIでなくクリック&ドラックの使い方を強いられそうだ。残念。

もし世界の最後が来たら何を聴くのか?

BS放送のDLIFEでUnder The Doomというドラマがある。その録画を見て、美しい曲に出会った。正体不明の透明のドームに囲われたアメリカの小さな町が米軍の兵器でドームもろとも焼き尽くす。この時ラジオのDJが、避難した住民に聞かせるのがこの曲だ。 The End of the World - Skeeter Davis(YouTube) Wikipediaによると 「 この世の果てまで 」( 英 :  The End of the World ) は、 アメリカ合衆国 の女性歌手、 スキータ・デイヴィス のヒット曲である。 1962年 12月に RCAレコード から発売され、世界的に流行した。作曲はアーサー・ケント、作詞は シルビア・ディー 。ディーは、 ナット・キング・コール の「 トゥー・ヤング 」の作詞者としても知られている。日本では「この世の果てまで」のタイトルで知られているが、原題を直訳して「世界の終わり」とした方が元の歌詞の意味に近い。 だそうだ。生まれた年に流行った曲か。知らない名曲とはあるもんだ。 自分を抹殺する政府の行動を受け入れるというドラマの設定は理解不能だが、アメリカ人って案外有事の際は自分の生死を政府に預けるというのは通底する心理なのかとも思った。 で、もし世界の最後が来る状況で何を聴いて終わりを迎えるのかというと、案外、似た曲に行き着くか何と思った。ルイアームストロングのWhat a wonderful world.とか。

自分の人生を楽しくするのは自分だ 湘南国際マラソン、完走

初マラソン完走。半年の期間で自己流に走りこみ今日を迎える。経験者の妻のアドバイスと励ましの寄与が大きい。 15kmの経験はあったが、42.195kmは未体験ゾーン。これまで15kmでも膝が超痛くなって、この三倍など走るなんて無理と観念していたが、走り方の見直しとエネルギー補給の仕方、何よりストレッチの大切さがわかり実践することで完走できた。 物凄い人がここ大磯に集まり、ゴールするという一つの目標に、ただ走るというシンプルなスポーツで三連休の秋の日を過ごした。リゾートマラソンというのが主催者のコンセプト。地域の人の応援も励みになる。 予定通り30kmで足棒になった。ここからは気合いだ。おじさんパワーを舐めるなよー。でも足は前に進まないけど。 走りながら、ランナーズハイ(?)が何度か訪れる。その時の秋の高い空の気持ち良さと人生は自由だ。 自分の人生を楽しくするのは自分だ と、走るランナーの来ているウエアメッセージを見てそう思った。 自分の人生は自分しか楽しくしてくれない。一年に一回こんなきついスポーツで活を入れるのもまた人生だ。50歳を見くびるなーともう一人の自分に語ってた。 それでも 30km過ぎの西湘バイパス入り口からはしんどすぎた。皆が歩いてた。でも全区間、マラソンとして歩くのではなく、走ることを貫けたのは50代の精神力と褒めたい。 初マラソンの参考のため、時間とイベントを記しておこう。LINEで録音したもの。 8:00 並び出す。寒いが妻の持ってきてくれた合羽があったかい 9:00 スターしたはずだが、Fリージョンは9:17ぐらいがスタート地点通過 9:50 大磯を出る 10:21 茅ヶ崎に入る トイレ休憩 第一関門を通過できるのか心配になる 10:45 第一関門通過 11:14 第二関門通過 12:14 第4関門通過 水で腹ポチャ 12:25 バナナ半分食べた 12:32 24km通過 12:36 ランニングハイ 12:46 関節痛み少ない、筋肉が疲れてきた感じ 12:46 26km通過 12:58 27km通過 、トイレ行っていた 13:05 28km通過 13:07 第五関門通過 給水、チョコ歩きながら食べる。楽しい。 ...

改めて考える原発 -F1炉心の基本的な状態も分かっていないのではないか-

汚染水問題で福島原発は厳しい運営を迫られている。 本題の本質であるメルトダウンした炉心は今どうなっているのか、なぜ汚染水が発生するのかネット上を調べてみた。結論から言うと、Wikipediaが簡潔にまとめてあるものの、欲しい情報は分からなかった。 今日(2013.10.20)現在、東電からの炉心状況報告は2011.11.30からアップデートは無い様だ。 動画1 http://www.tepco.co.jp/tepconews/library/movie-01j.html?bcpid=45149870002&bclid=27905668002&bctid=620497675002 資料 http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/images/handouts_111130_07-j.pdf 最近の汚染水の対策ビデオを見て見た。 動画2 http://www.tepco.co.jp/tepconews/library/movie-01j.html?bcpid=45149870002&bclid=27905668002&bctid=620497675002 汚染水が生まれる原因として(動画2の2分25秒ぐらいから説明があるが)、格納容器内への核燃料冷却用注入水(400m^3/day)の回収が一点、建屋内に流入する地下水が同量 (400m^3/day)ありこの回収が二点目としている。 F1では圧力隔壁を突き破った核燃料が炉心の格納容器外へ漏れ出していると言っている。どの程度の量がどこに溜まっているのかは、推定だけでわかっていなさそうだ。 上で紹介した2011.11の東電の動画1では2分ぐらいの所にあるのだが、F1の溶け出した核燃料は格納容器内に留まっていると説明している。 分からないのは、ではどういった理由で地下水が汚染されるのか?これが出てこない。 以上を踏まえて整理し直すと、F1では、地震で原子炉の建物が損壊して地下水が入ってくるようになった、津波による電源喪失で冷却されなくなりメルトダウンした燃料が格納容器の下部に2.7m程度のコンクリート面に落ち最大70cm程度熔かして止まった。今は核物質は冷却されなく安定している。 ここでわからないのは、だとすると格納容器が地下水にさらされているほど壊れているとい...

iOS7 で英語の勉強

必要に迫られて英語の勉強をしている。 iPadやiPhoneを使って勉強するいい方法を見つけた。 iOS7には選択部分を辞書表示することができるようになっている。 瞬間日記を英語でつける。英単語が分からなくても日本語単語をそのまま綴って、日記として成立するように思いの丈を綴るのがfirst step。 分からなかった英単語を日本語単語から辞書を引く。 英単語を日記に追記する。 kindle for iPadでTOEIC勉強用本を購入しておりこれを知らない言葉を辞書で引いたりするのが楽しい 英語の表現を勉強するとそのまま日記で記憶の定着に役立つ

書評:大東亜戦争の戦争責任がどこにあったのか未だ日本人は結論を得ていないという、今を生きる我々の宿題が残っていることだ

   「それでも、日本人は「戦争」を選んだ 加藤 陽子 (著)」を読んだ。中国の勉強をしているうちに自国の近代とくに戦争について改めて勉強したいと思ったからだ。 人は選択の時、今起こっていることを 過去の出来事から 演繹し、未来を予想し、今を決断する。そしてそれが歴史になる。しかし過去の知見が偏ると 選択が正しくできなくなるので、歴史を広く深く学ぶ必要がある。 本書は、中々解りにくい近代の日本の戦争の選択を世界の潮流や人々の考えから明らかにして行く。その視点は今をどう生き、歴史に何を学ぶのか、に貫かれており、近代史の重要性と自分の知識の欠落に気がつく。 なぜ、我々日本人は日中戦争を起こしてしまい太平洋戦争に突入したのか、軍の暴走だけでない市民の感情、政治状況を踏まえながら戦争突入の経緯を明らかにする。 読後感は、大東亜戦争の戦争責任がどこにあったのか未だ日本人は結論を得ていないという、今を生きる我々の宿題が残っていることだ。

映画「最高のふたり」は、日々を楽しむことを思い起こさせた。

面白かった。後味のいい映画だ。 首から下が全身麻痺している金持ちフィリップと貧困の底でもがく介護人ドリスの仕組まざる絆の成長が主題である。 全体を貫いているのはドリスのフィリップに対する対等感であり、フィリップのドリスに対する生きる力の信頼感である。ドリスが障がい者と金持ちの行動をブラックジョークでからかい、フィリップも応対し二人とも始終大笑いする。歴史があり名門な家柄ならではの堅苦しい生き方があるフィリップの、そして周りの使用人の心がほぐれていく。 ドリスの複雑な家庭環境や、母との確執、非行にはしる弟が伏線となってドリスもフィリップの親子関係を見たり彼の助言もあり、家族に向き合い関係を再構築して行く。 まあ、そんな話なのだが、気持ちがいいと感じるシーンは、スピードの出る車椅子に乗り換え冷たい風を感じたり、海の際の日の光を受けた塩の匂いだったり、アースウィンド&ファイアーのリズムだったり、体感する場面だった。 頭でっかちにならず、日々の出来事を楽しみ、季節を感じることの素晴らしさを思い起こさせてくれる映画だった。